上野輪王寺両大師

上野の博物館には頻繁に行くが、周辺は行ったことがない。はじめて、国立科学博物館の北側にある輪王寺両大師に寄ってみた。江戸時代には上野寛永寺、 日光満願寺の両山の山主が輪王寺宮であり、親王が入る門跡寺院であった。現在の輪王寺は、東叡山輪王寺という天台宗の寺ではあるが、東叡山の開山、 天海大僧正を祀る開山堂と同じ境内に在り、正保元年(1644年)、天海僧正の像が安置されたが、後に比叡山延暦寺の高僧慈恵大師良源の像も安置され、2人になったことから、両大師と呼ばれるようになった。したがって、別称の開山堂・両大師で呼ばれる。
山門屋根には「丸に二引き両」の家紋の飾り瓦が上がり、その家紋から足利氏の出自としていることが分かる。家紋の飾り瓦は初めて見た。天海の前半生は不明であるが北院の住職となったのは慶長4年(1599年)であり、慶長17年(1612年)に寺号を喜多院と改め関東天台の本山とした。このため川越喜多院山門前に銅像が建てられ、川越市立博物館にも天海の坐像が展示されている。家康、秀忠、家光に使え、寛永元年(1624年)には上野寛永寺を創建した。寛永20年(1643年)に108歳で没したとされる。川越市立博物館にはかつて138歳説も記載されていたが、神話期の天皇ではあるまいし、最近では108歳とのみ記載されている。
境内には「御車返しの櫻」と呼ばれる珍しい櫻があるそうだ。鎌倉極楽寺のものと見比べたいものだ。
(表紙写真は輪王寺開山堂(両大師))

山門には「東叡山寛永寺開山堂」とある。

山門と横の阿弥陀堂。

山門屋根の飾り瓦は「丸に二引き両」の家紋(×2)だ。

山門屋根の飾り瓦は「丸に二引き両」の家紋(×2)だ。

阿弥陀堂。

銅燈籠。

銅燈籠。

銅燈籠。

銅燈籠。

銅燈籠。

銅燈籠。銅燈籠が多いのは上野東照宮と同じだ。

鐘楼。

鐘楼の鐘。

境内の井戸。

輪王寺開山堂(両大師)。

寛永寺旧表門。

寛永寺旧表門。明治維新の上野戦争の時の弾痕が残る。

